リンゴを食べ終わった後、やっくんはすぐに台所に立って洗い物を片付けてくれた。
「すぐに片付けた方が楽だぞ」と言って。……分かってるけどできないんです。それを当たり前のようにやるやっくんが、すごいなと思った。
食器を洗ってもらってる間、シャワーを浴びてしまおうかと一瞬迷う。でも今日は朝に浴びたし、明日になってからでいいか。
そして気づく。やっくんは、お風呂に入るんだろうか。
スマホを取り出して調べてみると、蝙蝠はとても綺麗好きらしい。飛びながら水浴びをすると書いてあった。実際やっくんを見ていてもけっこう小綺麗にしているし、家事や料理への取り組み方を見ても、綺麗にするのが好きなんじゃないだろうか。
やっくんが洗い物を済ませてリビングに戻ってきたので、直接聞いてみることにした。
「やっくんはお風呂に入るの?」
やっくんはきょとんとした顔をした。
「おふろ?」
「お湯で、体を綺麗にするやつだよ」
「……湯屋のようなものか。自宅にあるのか。すごいな」
私は立ち上がり、「こっちだよ」とやっくんを案内した。
ところが、脱衣所に入ったところで、やっくんは突然大きく後ろに後ずさった。
「え、どうした?」
「……そこに何かいた」
……まさか、Gでも出没した? おそるおそる周りを見回す。でも、何も見当たらない。
「どんなのが見えたの?」
「黒くて大きいの……」
黒くて大きい?
ふと横を見ると、洗面台の鏡の中に、ロングヘアを雑にまとめただけの女の姿……要するに私の姿があった。なるほど、これか。
「やっくん、安心して。たぶん自分の姿が鏡に映ってびっくりしただけだよ」
「自分の姿……?」
やっくんがおそるおそる脱衣所の方に戻ってくる。そっと中を覗き込み、鏡の中の自分の姿を見た。鏡の中で、黒っぽい癖っ毛から飛び出した先の尖った耳がぴくりと動いた。赤銅色の瞳が、ぱちくりと瞬きをする。
やっくんがおそるおそる鏡の前で右手を上げると、鏡の中も同じように動く。
「……」
ゆっくり右手を下ろす。鏡の中も同じように下ろした。
「…………そういうことか。こんなに大きいものは初めて見たな」
「小さいのは昔からあったの?」
「ああ。取手のついた柄鏡というものがあった」
柄鏡、か。たぶん手鏡みたいなものだったんだろう。
やっくんが、脱衣所から浴室の中を覗き込む。シャワーを浴びている間寒くないようにと換気扇のスイッチを切ったら、「風が……消えた!?」とまた驚かせてしまった。
使い方の説明をするのに、浴室の中に入る。
「ここを捻るとお湯が出るよ。こっちがシャワー、こっちがカラン」
実際にシャワーを出してみせると、やっくんは目を見開いた。
「雨……?」
感想に笑う。
「これは、私が使ってる石鹸とシャンプー。……体洗うやつと、頭洗うやつ。使っていいよ」
「あ、ああ……分かった」
やっくんが体に巻いていた黒い布を外す。布の下にも黒い服を着ていた。作務衣だった。……ところどころ砂埃で汚れている。
「それ、一緒に洗濯しようか?」
「……いいのか?」
「うん。……あ、でもそしたら着るもの無くなっちゃうか」
少し考える。やっくんに目を向けると、自分よりもほんの少し背が低い。それに、肩周りも華奢に見えた。……普通に私のTシャツ着れそう。
私は寝室へ向かい、クローゼットから部屋着のTシャツと短パンを取り出す。……さすがにパンツはない。あとでAmazonで注文しよう。
脱衣所へ戻り、やっくんにTシャツと短パンを手渡した。
「はい、着替え。使っていいよ。……あ、あと脱いだ服はこの洗濯ネットに入れてね」
「分かった。……助かる」
脱衣所の戸を閉める。
少しして、中からシャワーの音が聞こえてきた。よかった。ちゃんと使えてるみたい。
リビングに戻り、スマホを手に取る。
やっくんのパンツを注文しようと検索してから、もしかすると下着の好みがあるかもしれないと思い至り、そっとアプリを閉じた。
リビングでそのまま待っていると、少し時間を置いて、脱衣所の戸が開いた。
脱衣所から現れたやっくんは、濡れた髪をぎこちなくタオルで拭いてる。黒い癖っ毛は束になって跳ねていた。貸してあげた私のゆるいTシャツは、同じようにゆるくちょうどいいサイズ感だったし、短パンもちゃんと履けていて全く問題ない。黒い布を外すと体の華奢さが際立ち、先ほどの作務衣姿とは違って、なんだか普通の子供みたいな印象だ。そして何より--
(か、かわえぇ……!)
彼女に自分のワイシャツを着せる男って、いつもこんな気持ちを味わっているんだろうか。
やっくんは怪訝そうな顔をする。
「……何だ」
「いやその……似合ってるね」
「そうか」
なんというか、黒い布を取ると一気に少年感が増す。落ち着いてるから大人なのだとばかり思っていたけど、もしかして本当に子供だったりして。
……大丈夫? 犯罪じゃない?
「……やっくんって何歳なの」
「二百五十歳だ」
「にひゃ!?」
理解が追いつかない。でもとりあえず、犯罪ではないことは確定した。ほっと息をついた。
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