最近読んでいる作品に、
「シリアスをトンチキで包む」タイプのものがある。
火星。
相撲。
ヨコヅナトリウム炸裂弾。
本場明太子ホータイ。
単語だけ見ると完全にふざけている。
でも実際に読んでみると、驚くほどスルスル読めてしまう。
なぜか。
ギャグは、認知負荷を軽減する
まず大きいのは、ギャグやトンチキ設定が、読者の認知負荷を軽減していることだと思う。
本来この作品、扱っている要素自体はかなり重い。
- 戦闘
- 実力差
- バディ関係
- 暴力
- 軍事
- 生死
そのまま真正面から描けば、読者はかなり疲れる。
でもそこへ、
- 木星訛り
- ツッパリシールド
- 白き衝動
- ぶつかり稽古する心臓
みたいな、トンチキ語彙が挟まる。
すると読者は笑う。
笑うことで、重さを受け止めやすくなる。
これは単なるギャグではなく、“読ませるための緩衝材”として機能している。
真面目だからこそ成立する
面白いのは、この作品が“ふざけるため”にふざけていないことだ。
キャラクター達は真面目だ。
戦闘も真面目。
感情も真面目。
世界観も真面目に積み上げられている。
壊れているのは、語彙だけである。
だから、笑っているのに、感情線やシーンの熱量は死なない。
むしろ、「真面目にアホをやっている熱量」が作品の推進力になっている。
トンチキだけでは、長距離走にならない
ただ、読んでいて途中から面白い感覚もあった。
最初は、“トンチキそのもの”が推進力になる。
「次はどんな単語が飛んでくるんだ?」だけでページをめくれてしまう。
でも人は慣れる。
世界観や語彙を理解した瞬間、読者は次に、
「この関係や物語は、どこへ向かうんだ?」
を求め始める。
つまり、長く読ませるには、トンチキ以外の推進力も必要になる。
必要になるのは、構造と関係性
この作品は、関係性自体はかなりまっすぐだ。
だから読みやすいし、キャラクターへの好感も持ちやすい。
一方で、主人公コタケ君の思考や決断については、少し“内面寄り”に進んでいる印象がある。
本人はかなり色々考えている。
だが、
「なぜそう考えたのか」
「なぜその決断に至ったのか」
の積み上げが、状況変化としては少し見えづらい場面もある。
そのため途中から、“キャラは動いている”
けれど、“構造が大きく前進している感覚”は少し弱まっていく。
もちろんこれは、作品の方向性や好みの問題でもある。
ただ、「トンチキだけでは読者は走り続けない」というのは、かなり面白い観測だった。
そういえば、自分も似たことをしていた
ここまで考えていて、ふと自分の作品を思い出した。
私も、似たことをしている。
私の場合は、シリアスや関係性の圧を、ハルモンの薬ギャグで横から破壊している。
ただしこれは、空気を和らげるためというより、
「こいつは根本的に普通じゃない」
を、笑いに変換する処理に近い。
だから空気は和らがない。
むしろ時々、雰囲気ごと破壊される。
だがそのズレ自体が、ハルモンというキャラクターの異常性になっている。
重さを読ませるために、別方向のズレを混ぜる。
考えてみれば、私もかなりトンチキ側の人間だった。
まとめ
ギャグやトンチキ設定は、単なるネタではない。
時には、重いテーマを読ませるための、優秀な認知負荷軽減装置になる。
ただし、読者は必ず慣れる。
その先で必要になるのは、やはり構造や関係性の推進力なのだと思う。
それでも私は、「胸がぶつかり稽古を始めていた」を一生忘れない気がする。



