先日、灯屋いと様と少し変わった創作実験を行った。
互いの作品を交換し、自分の文体で書き直してみる。
ただそれだけの企画である。
ところが実際にやってみると、単なる文体比較では終わらなかった。
そこに現れたのは、創作者ごとの「作品の見方」の違いだった。
実験の概要
発端は灯屋いと様の記事だった。

キャラクターが「なんとなく」行動しているように見える場面でも、その裏には必ず何らかの理由が存在する。
だから作者自身がその理由を理解しておく必要がある。
そんな内容の記事である。
私は普段、あまりそういう書き方をしない。
どちらかと言えば、
・行動
・反応
・選択
を並べる。
心理はなるべく説明しない。
読者に体験してもらう方を優先する。
だが、そこでふと思った。
同じシーンを互いの文体で書いたら何が起きるのだろう。
ほとんど正反対の書き方をする二人がそれぞれの作品を書き換えたら、すごく面白いものが出来上がるのではないだろうか。
こうして、今回の創作実験が始まった。
結果として起きたこと
私からは、『湊先輩とパンケーキ』を提供した。
こちらは、もともと約4000字。
それを灯屋いと様が書き直した結果、約6000字になった。
最初は単純に「増えたな」と思った。
しかし読んでいて気づいた。
増えたのは情報量ではない。
意味だった。
元作品に存在していた行動や反応の理由が、ひとつひとつ言語化されていたのである。
私が見ているもの
今回、自分でも改めて気づいたことがある。
私は人物の感情より先に構造を見る。
例えば、灯屋いと様からお借りした『異性』。
原作では主人公・悠真の認知や心理が丁寧に描かれている。
しかし、私が最初に目をつけたのはタイトルだった。
『異性』
なぜこのタイトルなのか。
そこから逆算して読み始めた。
すると、
・下着姿の凪
・シャワーの音
・仮眠室
・欲情という単語
そういった要素が見えてくる。
私はそこから「悠真が凪を異性として認識している」という軸を抽出した。
つまり、人物よりも先に構造を見ていた。
灯屋いと様が見ていたもの
逆に灯屋いと様は、『湊先輩とパンケーキ』の主人公を見ていた。
もともと私が書くときに強く意識していたのは「脊髄反射で相手に合わせる人」という構造だった。
だから主人公は、
・女装を受け入れる
・紅茶に砂糖とミルクを入れる
・好きではないパンケーキを褒める
すべて同じ構造で動いている。
しかし私はそれを説明していない。
行動として置いただけだ。
ところが灯屋いと様はそこを掘った。
結果として、「かわいいの正解を探し続ける主人公」が浮かび上がった。
これが非常に面白かった。
表現は違うが、見ている場所はかなり近かったからである。
違うのに近い
今回特に感心したのがここだった。
灯屋いと様は、主人公が自分を出さず、相手をミラーリングし続けているという解釈に辿り着いていた。
これは私があとがきで書いた「自分が何を好きかより、何を選ぶのが正しいかを優先する」という構造にかなり近い。
また、「今日、自分の名前を一度も呼ばれていなかった」というラストの追加にも驚いた。
正解ではない。
しかし非常に筋が良い。
そこを拾うのか、と思った。
創作者はどこを見て読んでいるのか
今回の実験で面白かったのは、作品そのものよりも考察ログだった。
私は構造を追う。
灯屋いと様は認知を追う。
だから同じ作品を読んでも見えるものが違う。
私はタイトルから入る。
灯屋いと様は人物から入る。
私はズレを見る。
灯屋いと様は理由を見る。
その差が、作品の再構築にもそのまま表れていた。
焼け跡の正体
『湊先輩とパンケーキ』は恋愛のような皮を被っている。
可愛い先輩。
パンケーキ。
写真。
女装。
だが、その本質は恋愛ではない。
読者は恋愛として読み始める。
しかし最後に違和感だけが残る。
その違和感を説明できないまま帰る。
今回の考察ログを見ていて改めて思った。
私の作品は文章で刺しているのではない。
構造で刺している。
だから、読後に焼け跡が残る。
おわりに
今回の創作実験は、文体比較というより創作者同士の観測記録だった。
自分が何を見ているのか。
相手が何を見ているのか。
それがここまで露骨に現れた経験は初めてかもしれない。
そして何より面白かったのは、自分では見えていなかった作品の顔を見せてもらえたことだった。
創作実験として、大成功だったと思う。
▼灯屋いと様に書いていただいた『湊先輩とパンケーキ』はこちら

▼書かせていただいた『異性』はこちら

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