ファイアーエムブレムの中でも、ifとエンゲージは私の中で「ある意味で最も印象が残った」二作品。
理由は、両方とも、世界の構造がはっきり見えず、キャラクターがストーリーを感情で“押し切っている”ように見えたからだ。
しかし、これら二作品を「どちらが破綻しにくい設計だったか」という点で見ると、今までとは違って見えてきた。
二作品の共通点
ifとエンゲージには共通点がある。
どちらも、国家や歴史といった「世界の構造」が前面に出るタイプの作品ではなく、物語は基本的に個人の感情や選択を軸に進んでいく。
そのため、世界観を精密に読み解こうとすると説明不足や違和感を覚えやすく、
キャラクターが状況説明や感情処理を一身に引き受けているように見える場面も多い。
一方で、
ifは「構造を描こうとして支えきれなかった痕跡」が随所に残り、
エンゲージは最初から構造を薄く設計したうえで、
個人単位の物語として割り切っているようにも見える。
この違いが、
両作品の印象や、プレイ後の納得感の差につながっているのではないだろうか。
たとえばifでは、本来は世界や制度が説明すべき矛盾を、
キャラクターの言動や感情で無理やり処理しようとする場面が多い。
その結果、キャラクターの選択が理念や必然ではなく、
物語を前に進めるための都合に見えてしまう瞬間が生まれていた。
一方エンゲージでは、国や歴史の重みを背負わせることを最初から避け、
世界はあくまで舞台装置として配置されている。
王族や仲間たちは、国家の正しさを語るよりも、
その場での感情や選択だけを担う存在として描かれている。
エンゲージは軽いが、
誰が何を背負う物語なのかが最初から決まっていた。
ifは重く、
背負いきれなかったものがキャラクターの言動に滲み出てしまった。
構造の欠落を「誰が引き受けているか」
スタルーク(エンゲージ)
エンゲージは王族二人体制となっており、
スタルークはブロディア第二王子。
彼は兄ディアマンドより先に加入する。
しかもまだ序盤でキャラクターも少ないため、
物語の歪みを一時的にまとめて引き受ける状態となる。
加入後すぐから世界観説明や国の空気、
王族としての立場、感情のリアクション。
彼一人が、すべてを背負わされることになる。
なので最初はよく喋るし、不安や弱音もたくさん出てきて精神不安定な状態に見える。
また、明らかな説明役という印象も受ける。
しかし、後から兄ディアマンドが加入することで、状況が変わる。
説明責任が兄に移り、決断や対外対応も兄に集約する。
そして物語が「王としての正しさ」を求め始める。
その結果、スタルークが物語の前線から外れる。
ストーリーに絡むことが少なくなったスタルークは、感情が安定するし、言動が一貫するようになる。
これは、因果を背負わされなくなった人が正常に見える現象だ。
彼は歪みを引き受ける装置としての役割から解放された瞬間、人間に戻ることができたのだ。
カムイ(if)
カムイはifの主人公で、マイユニットでもあるのだが、ここでは「歪みを引き受けさせる役を誤った例」として紹介する。
カムイは非殺の思想を持っている清廉な存在だ。
しかし、戦争中である現実では、その思想は世界観と全く噛み合わない。
本来であれば、その思想を持つがゆえに世界と衝突し、その結果、犠牲や矛盾が生まれるし、
それを誰かが引き受ける構造になるはずだった。
だが、カムイは主人公だ。
主人公は、物語の中で正しい存在に見せる必要がある。
でもifの世界の構造は、カムイの正しさを支えることができなかった。
だから、世界の方を無理やり捻じ曲げるしかなくなった。
その結果、軍全体が超人になり、
戦闘を行っても敵兵の命を全く奪わず勝利するという驚きの展開が生まれてしまった。
主人公であるカムイの意思はすなわち、世界のルールとなるのだ。
カムイは清廉だ。
でも行動が現実離れしており、
意味も重みも消えてしまった。
非殺の思想は、価値観の近い仲間だけなら成立する。
しかしifには、ピエリのように
明確にそれと相容れない人物も存在する。
にもかかわらず、軍全体が同じ振る舞いをするのは、
思想が勝ったのではなく、
世界の方が折れた結果だ。
マクベス(if)
マクベスでは、世界の歪みは分散されない。
予言や権力欲、王権という危険な要素は、
すべてマクベスという一人の人物に集約されている。
彼は英雄でも、単なる悪でもない。
世界の矛盾を理解したうえで、それを引き受け、
そして壊れる。
だからこそ、世界は壊れない。
マクベスは、歪みを引き受けることで
物語を成立させた装置だった。
ifとエンゲージを見てきたあとでマクベスを読むと、
「誰が歪みを引き受けるべきだったのか」が
はっきり見えてしまう。
なお、透魔王国編では歪みを引き受ける役が途中で不在になり、物語全体に矛盾が拡散した。
まとめ
こうして振り返ると、
マクベスは感情でも思想でもなく、
世界の歪みを処理するための装置として、
あまりにも完成度が高すぎた。
完成度が高すぎるというのは、
こうして後世の作品を相対的に巻き込み、
何度でも再評価されてしまうということなのかもしれない。
なお、エンゲージでは国家構造が
ほとんど描かれていない。
そのため、王族が
国家を背負う構造になっている。
その話は、以下の記事で詳しく書いている。

追記①
カムイの非殺の思想を成立させるため
追加の場面を書いてみました。
▼非公式公式補完テキスト

追記②
マクベスを失った後の透魔王国編の話を
書きました。


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