同じものを見ているのに、全然違う話になる

旦那との会話が、毎回ちょっと面白い。

例えば、子どもに買ってあげるBDを選んでいたら、天空の城ラピュタの話になった時。

「俺、最初から最後まで通しで見たことないねん」

「え、そうなの?」

「せやで。いつも途中までか、途中から。でも内容は把握してる」

……ふぅん。

あれを見ている途中でやめたり、途中で入ったりできるなんて、こいつは一体どういう見方をしてるんだ?

ラピュタといえば、私にとっては機械兵の尊さを鑑賞する物語だ。

かつて使っていた主は、もうこの世界にはいない。

それでもこの世界に残り続ける機械兵たちは、その体が朽ちても、自らの役目を果たすためにかつての主の命に従い、動き続ける。

消えた高度文明と、残された断片たち。

……尊い。美しい。

私は、旦那に質問してみた。

「ラピュタで印象に残ったのってどこ?どういうものだと思って見てる?」

旦那は少し考えてから、こう答えた。

「空飛ぶからロマンあるなぁ。あと、バトルもある。……あ、あと、ムスカの金色の目がラスボスっぽい」

……いや、どこ見てんの?

そう思ったけど、確かに筋は通っている。

同じものを見ているのに違う

魔女の宅急便でも同じだった。

私は、「かつて社会のインフラだった魔女が、科学技術の発達により淘汰されていく」と思いながら見ていた。

それなのに、旦那は

「このタイミングで爆発するなら材料入れた時点でミスってるんちゃう?」

「こんなに家壊れて保険大変やな」

「最後あれ腕抜けるやろ」

と言っていた。

スケールが違いすぎる。

ゲームでも同じだった

この違い、ゲームでもそのまま出ていた。

例えばクロノ・トリガー。

私は強くてニューゲームで何周もして、ステータスを高めたり、複数エンディングを回収していた。

同じゲームでも、選択や状況でどう変わるのかを見たかったから。

でも、旦那は一周だけ。

「苦しかった思い出も込みでの達成だから」と言って、やり直しをしない。

さらに面白いのが、旦那は普段は新しいゲームをどんどん買うのに、信長の野望や競馬ゲーム、パワフルプロ野球だけはずっとやっていること。

最初は矛盾してると思ったけど、違った。

旦那は「毎回違う結果になるもの」だけ繰り返す。

私は「同じものでも別の見方ができるもの」を繰り返す。

見ている場所が違う

ここでやっと分かった。

私は、関係性や構造を見ている。

旦那は、機能や現実を見ている。

・私:意味・関係・構造  
・旦那:機能・物理・再現性  

同じものを見ているのに、見ている場所が違う。

非対称な理解

そして、面白いのがここ。

旦那の発言に、私は笑う。
かなりツボる。

旦那の視点を「現実的だな」と思って面白がれる。
でも私の話は、旦那からするとかなり飛躍して見えるらしい。

この非対称な理解が、ずっと面白い。

ある日の風景

休日、家で魔女の宅急便を見ていたとき。

子どもはソファーの背もたれに跨って、キキが箒で空を飛ぶ真似をしていた。

私はそれを見ながら、「魔女って、インフラだったんだな」と呟く。

その横で旦那が、「魔女ってインフラなん???」と言っていた。

同じ空間で、同じものを見ているのに、見えている世界が全然違う。

結論

価値観が同じだと安心する。

でも、違うと面白い。

たぶん私はこれからも、旦那のツッコミに笑いながら、自分の見ている構造を考え続けるんだと思う。

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この記事を書いた人

関係性オタク。
成立しない関係を、成立させてしまう物語。
救いより納得。
読むと、脳が焼けます。
構造分析×一次創作
添削・相談もやってます。

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