『たぬきの冤罪』を書き終えて、自分で読み返してみて思った。
……思っていたより、ちゃんと神話になっている。
最初は、ただの一発ネタだった。
「たぬきは前世で重罪を犯したのではないか。」
道端で車にはねられたたぬきを見て、そんな馬鹿なことを真面目に考え始めただけだった。
普通なら、そのまま「冤罪でした」で終わる話である。
しかし、書き進めていくうちに、物語は思わぬ方向へ転がっていった。
最終的に第五報では創世神話になっていた。
なぜ、こうなったのだろう。
たぬきは何も変わっていない
シリーズを読んだ方はすでにお気づきかと思うのだが、たぬきは一切変わっていない。
第一報では重罪人。
第二報では神。
第三報では罪を受け止める存在。
第四報では神の誕生。
第五報では創世神話。
肩書きだけ見ると、たぬきは大出世している。
しかし、作品の中のたぬきは一度も変化していない。
丸い。
モフモフしている。
何も言わない。
ただそこにいる。
変わったのは、人間側の認識だけだった。
人は理解できないものを放置できない
第五報では、「人は理解できないものを、そのまま理解できないままにはしておけない」という考え方にたどり着いた。
分からないから、名前を付ける。
意味を与える。
物語を作る。
共有する。
繰り返しているうちに、それは神話になる。
たぬきは最初から神だったわけではない。
人が意味を与え続けた結果、神になった。
これは、信楽焼のたぬきも同じだ。
幸福を願い、店先に置き続けた。
だから神になった。
神だから置いたのではない。
置き続けたから神になったのである。
第一報は神話の一節になる
シリーズを書き終えて、一番面白かったのはここだった。
第一報では、「たぬきは前世で重罪を犯した」という一発ネタを書いた。
しかし第五報では、“ある者は言った。「あれは前世で重罪を犯した罪人である」”という一文になる。
つまり第一報そのものが、神話の一説へと変化している。
最初はギャグだった。
しかし神話が完成すると、そのギャグすらも神話の一部として取り込まれてしまう。
認知が更新され続ける
このシリーズで変化しているのは、たぬきではない。
読者である。
第一報では、たぬきを裁く。
第二報では、神として崇める。
第三報では、救済を求める。
第四報では、神とは何かを考える。
第五報では、人が神話を作る生き物なのだと気づく。
一話ごとに、前の話を否定しているわけではない。
一話ごとに、世界の見え方が更新されていく。
読み終わった頃には、「たぬき」という存在そのものより、「人はどうやって世界に意味を与えるのか」を考えている。
神話とは、認知の積み重ねなのかもしれない
結局、たぬきは最初から最後まで何もしていない。
丸くて、モフモフしているだけである。
それでも人は、罪人にし、神にし、救世主にし、最後には創世神話まで作ってしまった。
もしかすると神話とは、最初から存在していたものではなく、人が世界を理解しようとして積み重ねた認知の痕跡なのかもしれない。
そう考えると、この作品は「たぬきの神話」ではない。
人間が神話を作る物語だったのだと思う。
おわりに
……もっとも。
たぬきからすれば、「勝手にやってくれ」という話かもしれない。
\たぬきを崇めよ/
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