※発売前情報をもとにした考察です。
「命運をイシュマールに託す」という違和感
今回公開されたソティスの紹介文には、気になる一文がある。
「冥界の王バロールの復活により、滅亡の危機を迎えた世界に再び光をもたらすべく、その命運をイシュマールに託す。」
そしてイシュマールの紹介文。
「神祖ソティスの命を受け、滅びゆくダグザの地に降臨した救世主」
とある。
ここで気になった。
なぜソティス自身が動かないのだろう。
世界は滅亡寸前である。
それでも神は、自らではなくイシュマールを遣わす。
神には世界を救う力がある
少なくとも『風花雪月』を見る限り、ソティスには世界そのものを変えるほどの力がある。
フォドラ神話では文明を築き、人々へ知恵を授けた存在として語られる。
そして、アガルタとの戦いでは文明そのものを滅ぼしたとも伝えられている。
つまり、神は世界を救える。
だが同時に、世界を壊すこともできる。
だからこそ、神は手を出さないのではないか
ここで一つの仮説が浮かぶ。
神は世界を救える。
しかし、その力が大きすぎる。
神が直接介入すれば、敵だけでなく世界そのものまで壊してしまう。
だから普段は眷属へ任せる。
そして今回も、イシュマールへ命運を託した。
これは単なる「信頼」ではなく、神自身が動けない理由なのかもしれない。
『風花雪月』でも同じ構造だった
思い返すと、『風花雪月』でもソティスは前へ出ようとしなかった。
ベレト/ベレスへ未来を託し、自ら世界を支配しようとすることはない。
レアもまた、眷属として人間社会を管理していた。
神。眷属。そして人間。
役割は明確に分かれている。
今回も、
ソティス
↓
イシュマール
↓
人々
という構図になっているように見える。
例外はあった
もちろん、神が直接戦った形跡もある。
風花雪月では、アガルタ文明が滅ぼされた。
つまり、眷属では止められない危機だけ、神自身が介入した可能性がある。
もしそうなら、ソティスが直接動くこと自体が、世界にとって最後の手段なのかもしれない。
イシュマールの役割
イシュマールは救世主として降臨した。
しかし、それは「神の代わり」という意味ではない。
神が世界を壊さずに済むよう、神と人間の間に立つ存在。
だからこそ、「命運を託す」という表現になったのではないだろうか。
おわりに
これまで私は、「神から人へ」という『風花雪月』のテーマについて考えてきた。
しかし今回公開されたイシュマールを見ていると、その前段階として、「神から眷属へ」という構造も存在していたように思えてくる。
もしこの仮説が正しいなら、イシュマールは単なる救世主ではない。
神が直接世界へ介入しないための、最後の緩衝材だったのかもしれない。




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