人はなぜ書くのか

焼け跡を残したい

最近、ずっと考えている。

人はなぜ、物語を書くのだろう。

承認欲求。
自己表現。
創作が好きだから。

たぶん全部そうだ。

でも最近、私はもう少し別のものを見ている気がする。

人は、誰かの中に残りたいのではないか。

義理感想では満たされない

私は、義理感想をあまり信用していない。

もちろん、優しさとしての感想文化は嫌いではない。

でも、本当に欲しいのはそこではない。

欲しいのは、「他人の内部が変わった痕跡」だ。

焼けた読者は、勝手に語り出す。

読後にしばらく黙っていたり、
突然長文を送りつけてきたり、
周囲へ布教し始めたりする。

もう、読む前の状態には戻れなくなっている。

私はそれを、“焼け跡”と呼んでいる。

刺さる、とは何か

最近、「刺さる」と「気持ちいい」は別なのかもしれないと思っている。

本当に刺さる作品は、最初から気持ちいいわけではない。

むしろ、先に焼かれる。

価値観や感情や、人間関係の見え方が変わる。

「あ〜、そうなるしかないよなぁ」

という納得と一緒に、何かが内部へ沈んでいく。

その後で、じわじわ気持ちよくなる。

だから私は、“不可逆”に惹かれる。

後から意味が反転するもの。

変質した関係性。

戻れなくなった人間。

そういうものを見ると、脳が焼ける。

なぜ説明では焼けないのか

たぶん私は、「理解」ではなく「体験」を求めている。

説明された感情では、焼けない。

それは他人の言葉だからだ。

でも、読者自身の内部から湧き上がった感情は、その人自身の体験になる。

だから残る。

そして、残ったものは、その人の人生に住み着く。

開かれた関係性

私は、閉じきった関係性より、“開かれた関係性”が好きだ。

物語が終わった後も、まだ変化の余地があるもの。

読者の中で、勝手に生き続けるもの。

たぶん、そういう作品は呪いに近い。

人はなぜ書くのか

たぶん、他人を変えたいのだと思う。

自分の内部にあるものを、誰かの中へ残したい。

それは支配ではない。

侵食だ。

そして、変わってしまった誰かを見た時、自分が確かに残ったと実感できる。

たぶんそれは、承認欲求の一種なのだろう。

でも、私はその欲求を、そんなに醜いものだとは思わない。

たとえ自分自身が、何者かになれなくてもいい。

誰かの心に残れば、焼け跡さえ残せれば、それが、自分が生きた意味になるから。


人は、ただ物語を読みたいわけではない。

変わりたいのだと思う。

元の自分には戻れないくらい、何かに焼かれたい。


だから私は書く。

誰かの中に、消えない焼け跡を残すために。

脳が焼けたら、そっと押してください

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この記事を書いた人

関係性オタク。
成立しない関係を、成立させてしまう物語。
救いより納得。
読むと、脳が焼けます。
構造分析×一次創作
添削・相談もやってます。

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