――怪異に“襲われる”のではなく、“適合していく”物語
『鑢(やすり)』は、じわじわと読者を侵食してくるタイプの“構造侵食型”ホラーだった。
最初はかなり王道寄りの導入だ。
異変を起こした同僚、怪しいバー、不気味な店主。
読者は自然と、「怪異の正体を追う話」としてこの物語を読み始める。
実際、前半はホラーとして非常に読みやすい。
“ざり……”という耳に残る音、不潔な路地裏、削られていく肉体描写。
感覚的な不快感を積み重ねながら、「RATATAとは何なのか?」という興味で読者を引っ張っていく構造になっている。
ただ、この作品が本当に面白いのは後半だ。
物語が進むにつれ、この怪異は単なる“襲ってくる何か”ではないことが見えてくる。
それは昔から存在し、人を削り、侵食し、少しずつ馴染ませていくものだった。
ここで物語の見え方が一気に変わる。
前半では「怪異に巻き込まれる話」だと思っていたものが、後半では「怪異へ適合していく話」へと変貌するのだ。
しかも厄介なのは、その過程がどこか心地良くすら見えてしまうところである。
主人公は恐怖しながらも、どこか怪異へ惹かれている。
読者側もまた、じわじわとRATATAの空気に慣らされていく。
だから読後感が独特だ。
「怖かった」というより、「これでいいのか……?」という感覚が残る。
怪異に飲み込まれているはずなのに、それを完全には否定できない。
その曖昧さが、妙に頭に残る作品だった。
そして、個人的に特に“焼けた”のが、サキコと語り部の関係性である。
物語後半で、二人が単なる同僚ではなく、親友に近い関係だったことが見えてくる。
ここが、個人的にはかなり好きだった。
ただ同時に、「もっと見たかった」とも感じた部分でもある。
この作品の本質は、“元に戻れない”ことにある。
サキコは削られ、語り部もまた怪異側へと寄っていく。
だからこそ、二人の親友らしい距離感や思い出がもう少し積まれていたら、後半の破壊力はさらに増していた気がする。
……いや、確実に増していただろう。
出会った頃の印象。
初めの頃のやりとり。
関係を積み重ねるうちに親友となり、休日も共に過ごすようになる。
そんな相手が、壊れてしまったら。
「壊れてしまった」のではなく、
「もう元の関係には戻れない」。
そこがより丁寧に描かれていたら、怪異による侵食だけでなく、関係性の崩壊としてもさらに脳を焼かれていたと思う。
個人的には、二人の関係性は後半でまとめて描くより、怪異の合間に少しずつ滲ませる形の方が、この作品には合っていた気がする。
何気ない思い出や日常の断片が、侵食される現在の合間に挟まることで、「もう戻れない」がより静かに効いてきそうだ。
……とはいえ、この作品の“削られていく感覚”はかなり独特だった。
怪異は敵というより、現象に近い。
抗うというより、削られ、馴染み、適合していく。
読者自身もまた、その感覚に少しずつ侵食されていく。
読み終わる頃には、妙に心地良い気持ちになっていた。
……ん?
もしかして私の顔、まだ削れてる?



