最近、この作品を読ませてもらった。
個人的に、かなり印象に残ったのは最後のシーンだ。
想いを伝え、受け入れられる。
「愛してる」とも言った。
でも、私の脳が焼けたのは、「触れてもいい?」の方だった。
普通なら逆かもしれない。
「愛してる」は強い言葉だ。
関係の到達点として使われることも多い。
でも私は今回、その後に出てきた「触れてもいい?」の方に強く惹かれた。
なぜか。
たぶんその言葉が、この作品固有の意味を持っていたからだ。
この作品は最初からずっと、
- 手
- 汚れ
- 接触
- 資格
- 触れる/触れられる
というモチーフを積み重ねていた。
「きれいな手で」というタイトルも含めて、テーマの中心にあるのは、“愛”そのものというより、
「触れていい存在になれるのか」
の話だったように思う。
だから私は最後、「愛してる」で関係が整理されたのが少し意外に感じた。
そして、その後に出てきた「触れてもいい?」で焼けた。
なぜならその言葉には、
- 汚れている自分
- 触れる資格への不安
- 許されたい願望
- 接触への恐怖
- 救済への執着
全部が乗っていたからだ。
しかもそれは、この二人だけの文脈で成立している。
「愛してる」は、多くの人が意味を共有できる言葉だ。
つまり、理解しやすい。
でも、理解しやすいということは、関係が整理されるということでもある。
一方で、「触れてもいい?」は未翻訳だ。
読者が、行動や積み重ねから意味を補完し続ける必要がある。
私はたぶん、この“未翻訳の熱”に焼かれるタイプなんだと思う。
これは好みの話でもある。
私は、感情説明や自己分析が少ない作品に強く惹かれる。
関係を定義しない。
感情を整理しない。
名前をつけない。
その代わり、行動だけが積み重なる。
すると読者は、「これって何なんだ?」を考え続ける。
その補完の余地が、圧になる。
今回読んだ作品は、かなり「認識遅延型」の関係だった。
体や行動は先に反応する。
でも感情認識だけが遅れてくる。
そこがかなり面白かった。
一方で、私はどちらかというと、「未定義持続型」が好きだ。
最後まで、関係を整理しない。
理解しきらない。
名前をつけない。
だから今回、「愛してる」より、「触れてもいい?」の方に焼けたのだと思う。
この言葉の方が、この二人にしか存在しない熱を持っていたから。

